自愛、自分を愛する、というときに、最初に知っていてほしい、そして、いつも、思い出してほしいことを書きます。
前回の記事に、
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自愛って、自分を愛する、ですからね。
愛するって、どういうことか。
そもそも、愛ってなにか?
この部分を、このブログを参考にしていただくことで、その「愛」を体感できるように、構成しております。
愛を頭で理解しようとしても、それは、もしかしたら不可能なことかもしれません。しかし、体感でわかると、それはもう一瞬で確信できるもので、これから先の人生に大きな影響を及ぼすでしょう。
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と書きましたが、愛について、もうちょっと書きたいと思います。
自分を愛する行為について
愛と憎しみは反対ではありません。愛の反対は無関心です。
という有名な言葉があります。
私も、その通りだと、深く、実感しています。
思考の書き出し、掘り下げなどをしていくと、
- いかに、自分に無関心だったか
- 自分のことなのに、全然わかっていなかったか
- 「私が知らなかった、私の部分」がたくさんあったか
ということを体験できます。
- 自分のことを、わかっているようで、わかっていなかった。
- 自分の知らない思考がたくさんあった。
- 自分のプラス面をありのままに認めてこなかった。
- 自分のマイナス面を排除しようとしてきた。
- 自分の幸せを考えているようで、人の目ばかり考えていて、自分を置き去りにしてきた。
- 自分の幸せは、彼がいないと、叶わないと思い込んでいた。
こんなことにたくさん気づいていきます。
自分を愛する行為の第一歩は、
- 知らなかった自分を、知ること。
- ありのままの自分を見つめる、長い間気づかなかった自分の部分に気づくこと。
です。
だから、私は、鏡の実践(自分=まわりの人)や自分との対話(深掘りしてくださいよ♡)を、しつこく、おすすめ、しているのです笑
意外と、これだけでもよかったり、します。
ここまでの実践で、叶える人、ミラクルを起こしちゃう人も、います。
自分を”いい気分”にしてあげる♡
まずは、「自分を知る」ということがとても大事です。
自分をちゃんと知る、自分の思考をちゃんと知る、ということが、大事です。
「自分を知る・気づく」をすっ飛ばした状態で、
「自分をいい気分にしてあげる」をしようとしたとき。
- 欲、感情に振り回されてしまう
- 人の目・他人軸で行動しようとしてしまう
- 「めんどくさい、なにもしたくない」というのを叶えてあげようとする
となることがあります。
それは、本当に「自分のいい気分♡」のために、なるのでしょうか?
「ゆっくり体を休めたい」と「ただもうめんどくさい」を、見分けることはできますか?
なので、「ゴキゲントリ♡」と同時進行でもOKですので、「自分を知る」ということを大事にしていただくと、
自分をいい気分にする♡自分のゴキゲンをとる♡というのも、軽やかに、できてきます♡
小さな小さな望みを、自分でたくさん叶えたり、
自分が楽しくなること、夢中になることをしたり、
気分転換したり、五感を使って感動を味わったり、
笑ったり、口角をあげたり、おしゃれしてみたり、
姿勢をよくしてみたり、ストレッチやマッサージで体を気持ち良くしたり。
まずは、こういった、小さなことから、はじめていきましょう。
「ネガティブをリピート再生するか?」「いい気分になるか?」←これを意識して選ぶ、ということも大事なのです。ネガティブのリピート再生は習慣によるもの、というのが大きいです。
この積み重ねで「いい気分、心地いい気分、ゴキゲンな私」というのが、通常モードとなり、引き寄せの法則作動でゴザイマス。
(3)望む未来を思い描く
- 自分が好きなことを知る
- 自分がどうなったら一番幸せかを知る
- 自分がなにを望んでいるか知る
ここも、やはり「自分を知る」という行為で、自愛です。
しかし、ちょっと、注意深くなってほしいのが、
「その望み」というのが、
- 本当に自分が望んでいることか?
- 人の目を意識したものではないか?
- 親の望みではないか?親のためにではないか?
- 欠乏感、不足感からくる望みではないか?
という部分です。
ありのままの自分・思考を見つめて、今までみてこなかった自分をみる(知る・気づく)ことをしていくと、本当の望みも、まっすぐに見えてきます。
「望む未来がわからない」という方も多いですが、自愛をつづけていくと、ある日、急に湧いて出てくるようになりますので笑
今は、ただ、焦らず、自分自身のことを、待っていてあげてください。
あまりにも長い間自分を無視してきました
私は、あまりにも長い間、自分を無視してきました。
自分はダメな人間で、死ぬ勇気もなくて、さみしい気持ちでいっぱいだから、恋愛にこだわっていました。
自分をちゃんと見ないまま、「あんたはダメな存在だから、恋愛でもしなさい」と、自分を無視したまま、「幸せになる方法」を押し付けていたのです。
「あんたはそのままではみっともなくて、みじめな存在だから、一生懸命がんばって、本を読んで、変わらなければ、人並みに生きることができない」とそばで、言いつづけてきました。
今思うと、私は、なんて、ひどいことを自分にしてきたんだろう、と思います。
それに気づいたとき、心から「ごめんなさい、許してください」「こんなにひどいことをしてきたのに、存在してくれてありがとう」「ありがとう、愛しています」と思いました。
幼い思考も、ブラック思考も、ネガティブ思考も、罪悪感に押しつぶされそうになる過去も、すべて、なにもかも、私の、大事な一部だったことにも、気づきました。私の大事な一部だから、ちゃんと、まっすぐに、見つめて、受け入れる、ということができるようになりました。
たしかに、私は、なにもしなくても、ありのままで、そこにいるだけで、よかったのです。
自愛とか、愛するとか、愛とか。
ちょっと漠然とした感じがしますが「実践してみるうちに、ある日体感が訪れる」ということがあります。
自分が自分と出会う旅、自分が自分を知る旅、というのを、ぜひ、ゆっくりと、安心して、味わってください。
これが、自愛です。