この世は鏡でして、自分の目の前に広がる世界は、自分の内側を反映したものとなります。
彼が私を愛してくれないのは、私が私を愛してくれてない、ということ。
彼が(私に)音信不通なのは、私が私に音信不通で、
彼が私をブロックしてるのは、私が私をブロックしているということで、
私が(素敵な男性と)出会ってないのは、私が私と出会ってないからで、
彼が(私じゃなくて)他の女の子ばかりに夢中(で、私をみてくれない)なのは、私が(私ではない)他の外側ばかりに夢中(で、私をみてくれない)ということで、
いつも”二番目の座”になっちゃうのは、自分が自分を二番目扱いしてきたから。
★★★
今日は、誠に僭越ながら、みなさまに、問題を出させていただこうかなとおもいます。
(問1)
自愛、自分を愛しましょう、というのは、ありと、あらゆるところで言われていることで、
私も「よっしゃ!自愛で願望成就だ!」とか、思ったことがありました。
いろいろ調べて、本を読んで、書かれてる通りのことをしてみるのですが、だからといって、一番叶えたい願いが叶うとか、問題が解決される(死活問題級の問題)とか、そんなことはありませんでした。たしかに、ちょっと、こう、心が穏やかになるような、優しくなるような、運が向いてきたような感覚は、ありましたが、「ここぞ!」という願いは叶わなかったのです。(いろいろやってるうちに、愛とは?みたいなことを考え出して混乱してくる、とか、よくありました)
なぜだと思いますか?
(問2)
自己実現・願いを叶える系の本は、本屋さんのなかでも、とても、よく売れているのだそうです。しかも、長い間、ずっと、です。
ナポレオン・昼は、1883年生まれ、ジョセフ・マーフィーは1898年生まれ、なので、
これだけを見ても、大昔から、こういう系の本・セミナーなどがあり、売れつづけてきた、ということが、想像できます。
これだけ、自己実現・願望成就系の本が、たくさんあって、売れまくってる。
ブログもたくさんあります。本屋さんに行かなくても、家から一歩もでなくても、大金を払わなくても、「必要な情報」というのは、すぐに、手に入る時代なのです。
これ。普通に考えたら、みんな、どんどん幸せになって、もう、自己実現・願望成就系の本は別にそこまで売れるってほどでもなくなり、こっち系のブログだってどんどん減って、
ポノポノと、マーフィーと、ザ・シークレット読んで、終わり〜!くらいになってて、良さそうだと思いませんか?
「基本的」なことは、既出で、自己実現・願望成就系の本は毎年毎月出版され、売れまくる(=現実がうまくいってないと感じてる人が多い=すでに出ている本、ブログを読んで成功した人は少ない)
じゃあ、セミナーいけばいいのか?セッション受ければいいのか?という話になってきますが、そういうわけでもなさそうです。セミナー・セッションジプシーさんもいらっしゃるほどですから、ここにも同じことが言えそうです。
なぜだと思いますか?
↑
一応、このブログの記事のどこかにも、これの答えになることは、書いてます。
この答えがわかる、ということは、
- がんばってやってみるけど、一番の願いだけ叶わない、なかなか現実動かない
- 本・ブログ・セミナー・セッション読んでも、自分の人生に活用することができない
↑これを、もう、経験する必要がない・経験せずにすむ方法を知っている、ということでもあります。
★★★
色々知ってる、わかってる、知識はある、実践もしている、けど、叶わない、というとき。
そして、その「叶ってないこと」が、きになる、なんとかして、動かしたいときは。
いくつか、そんなふうになる原因みたいなものはありそう、人やタイミングによって違うということも大いにあるので、一概には言えませんが。
こんなふうに、考えてみてください。
「(うまくいってない)現実は、私が望んで、経験しているんだ」
って。ね。
思考が現実をつくってて、
だったら、思考を、受け取りたい現実に沿うものにすればいいかも!と思いついて、
いろいろ調べたり、することもあるのですが。
手っ取り早いのが、過去〜現在の、私の現実は、ちゃんと私の思考通りだった、と気づくことです。
そしたら、目の前の現実がどんなものであっても「願いを叶えてくれてありがとう」となりますし、願望成就に不要な思考などを持つ必要性がまったく感じられなくなります。
「この思い込み、手放せません!!」というときは、「私は、そんな現実を、まだまだ、もっともっと、体験したいの〜!!」ということなのです。