さみしさ、欠乏感、不足感

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(2021年1月22日)投げ銭セッションお申し込みの方へ。現在予想を上回るほど多数のお申し込みをいただいております。通常返信は「1週間以内に・・・」としておりましたが、1週間以内に返信できそうにありません。現在、「投げ銭部門」と「それ以外(継続中の方や5回やライトワーカー等)」で、返信するスタッフを分けて対応させていただいておりますが、投げ銭部門だけ全然追いついておりません。よろしくおねがいします。

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・定休日:月曜日、火曜日、祝日。ほか不定休あり。
・セッション受付時間/ 営業時間:15時スタート〜18時。ただし、講座・セミナーは18時以降となることがあります。
・受付・日程変更などの返信については、休業日を除き1週間以内に返信を行っております

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今から書く話は「そんなふうに見てみたら、見てみるだけで、奇跡と呼びたいようなことが起きる」という話です。

私自身がその体験をして、あまりにも感動したので、こうやってブログに書いてきました。

ブログ書いてるうちに、セッションをすることになり、この「この世を鏡でみてみる感覚」をお伝えしてきたところ、多くのクライアント様が奇跡と呼びたいようなことを起こして、また、感動して、こうやってブログやセッションを続けてきました。

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しかし「恋愛成就以外の話をしたい」というのは、去年かもっと前から、ずっとあった感覚でした。

恋愛成就、ということで言えば、過去の記事に書いておりますし、そもそも「鏡で見てみましょう」ということはとてもシンプルです、ただ、この世を鏡で見ればいいだけなので。

そしてもう一つ。「恋愛」で悩んでいると、恋愛の話を聞きたくなるでしょう。「男女」についての話を聞きたくなるでしょう。それは当然のことです。

しかし「鏡で見てみましょう」ということを、お伝えしようとしたとき、避けては通れないのが「恋愛以外の話」です。パートナーとの愛を成就させるとき、その幸せを育むとき、必ず「たったひとりの私だけのこと」という話は避けて通れません。

孤独も一体感も、もとは同じなのです。

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さて、ここ数日、セッションについての記事が続いてます。あと何回かは、まだまだセッションについての記事を書きたいと思っておりますので、ここで、一度「この世を鏡で見てみましょう」のおさらい記事(?)を残しておきたいと思います。

何度も書いたことと、同じ内容です。

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今、自分の目の前で起きている「物語」を、すべて、内側の反映としてみてみましょう。

今、自分の「物語」に登場する「登場人物たち」も、すべて、内側の反映としてみてみましょう。

「反映」というのは、反(ひっくり返って)映(うつす、光があたってはっきりと現れる)です。

「ひっくり返って」と書きましたが、これは「あなたは善人でしかなく、あの人は悪人でしかない」ということを伝えたいのではありません。

「あなたは善人でしかなく、あの人は悪人でしかない」これを、ジャッジとか二元とか呼ぶことがあります。そして、この「見方」で見つづけていると、さみしさや、欠乏感や、不足感や、自らの不完全さという幻想を真実だと思いこんで苦しむことになります。

おっと。こんな書き方をしたら、恐怖を煽るようですが、そうではなくて。「この、ずっと消えないさみしさ」は、一体何なんだろう?」というのは、私も読者さんもクライアントさんも経験してきたことですが、そういうことだった、という話です。

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この世を鏡として、みてみましょう。

すべて、自分を映し出したものです。

例外なし、で、この世を鏡として、みてみましょう、ただ、自分のために。ただ、無心に。

まるで、なぞなぞ遊びでもするように、何の期待もなく、楽しんでできたのであれば、あなたはもう、「物語で願いが叶わず悩み続ける人の役」ではなくなり、「物語を自由に創造する存在であり同時に自由に体験する存在」に、「戻った」ことに気づくでしょう。

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コツは、

  • 無心に、期待せず
  • 日々、淡々と、継続
  • 自分のために、自分が選んでそうしていることを自覚する
  • 例外を作らない

・・・そんなふうにして、この世を鏡として、みてみましょう。

ただ、そんなふうにして、見てみるだけでもいいでしょう。

「あーはいはいはい、そういうことだったのね!」という爽快感があれば(気づき)かなりすごいです。

そうこうしているうちに、いくつもの奇跡が起きてくるでしょう。

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コツの一つである、

「例外を作らない」

というのは、意外と難しいです。

私は昔、職場と元夫と元姑(あ、私はバツイチです)から、それぞれ同時にパワハラというか、モラハラというか、言葉の暴力というのか、いじめというのか、そういった類のものを受けるという体験をしました。

その職場をやめて、離婚して、数年間は、この3人がものすごく大嫌いでした、とても強い怒りを持ち続けていました。(当然体もボロボロです笑)

そして、あるときから、「大丈夫、私に悪いことをした人には、神様から天罰が下るから!」「世の中には、変な人もいるものだ!」と言い聞かせるようになりました。そう思って、自分を慰めたつもりになっていたのです。

↑これだと、まったく、鏡でもなんでもないし、一時的な慰めにはなったかもしれませんが、本来の意味での癒やしにはなりませんし、たしかにちょっと元気になったような気にはなったのですが、体も皮膚もボロボロ、恋愛では執着、お金も仕事も親子関係も最悪、自分はこのまま精神を病んでいくのだろうかと何度も大真面目に悩みました。

そういった、例外を作らず、すべての人、もの、出来事を、「自分がみた、感じた、視点から」一人ずつ、コツコツ鏡で見ていったときから、私の人生は、なにもかもが変わりました、それはもう、今でも親に「奇跡」と言われます。そして、これは、私だけの話ではなく、多くのクライアント様がそうだったのです。

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自分が幸せになると、まわりが幸せになる、まわりが幸せになると宇宙が幸せになる、だから、自分は安心して幸せになっていいし、一つひとつ、今目の前にあるできることをやっているだけでも十分なのだ、という感覚も訪れました、深いところから、そう感じられるように、はじめてなったのです。

ああ、あの見が引き裂かれるような強烈なさみしさとは、私が私の人生を生きるために、起きていたのだと、そう思いました。

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この世を鏡でみようとして、

  • 修正する
  • 自分の考えを改めようと努める
  • この世はすべて鏡だから、と、諦める
  • バランスを取ろうとする、中庸を心がける

などは、ちょっと、私がお伝えしているやり方とは、違いますが。

「この世が鏡であるということにただ気づく」だけで、一瞬で、なにかが、あなたにとってうれしい状態へと変わるでしょう。(一瞬で、というのと、自分にとって心からうれしい状態、というのがまたすごいですよね)

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