自分を愛する(自愛)ということをしていくと、自然とまわりの人からも愛されるようになるし、その「まわりの人」という中には、あなたの好きな人も含まれます。
しかし、本当の意味で愛することはできているのでしょうか?
そもそも、愛するってそもそもなんなのでしょう?
私自身「(自分を)愛すること」については、かなりつまづきを感じましたし、長年深く考えてきたテーマでもあります。
同じように「愛すること」についてとことん追求していきたい方は、自愛カテゴリーを参考にしていただけたら、と思います。
自分を愛するということ
自分を愛する、ということ。
愛する、ということ。
これは、私なりの感覚なのですが、
- 大切にする、大切に思う
- 尊重する
- どんな自分にも気付く、受け入れる、認める
- 否定したり、責めたり、目を背けたり、無視したり、抑圧したりしない
- 自分を知っていく
ということかな、と思います。
「大切にする」「尊重する」ということも、もちろん、とっても重要なのですが、
「どんな自分にも気付く、受け入れる、認める」
「どんな自分も、否定したり、責めたり、目を背けたり、無視したり、抑圧したりしない」
という部分は、意外とできていないことが多いかもしれません。
- 自分のこういうところが嫌い、イヤだ
- 自分の嫌いな部分は直さなきゃ
- 自分のこんな部分は、人に見られたくない、自分でも見てみぬふりをしたい
- こんな問題(片思い、仕事、お金、容姿、性格、家庭環境、健康など)を抱えている自分は認められない
と思っていることって、案外多いものです。
そんな部分も含めて、すべてちゃんと気付いて、見つめる。
「その部分があるからこそ、私自身なんだ」と、受け入れる。
こんなふうにして、自分自身を知っていく。
これが、自分を愛することかな、と私は思います。
実をいうと、私たちも、この世界も、すべて愛でできているので、
「愛する」「愛」ということを、本当は自分がすでに知っているので、深く考えずに、自分の感覚に従っていればOKです。
愛を意識すれば、それが本来の姿なので、全力で「愛」に向かっていくようになります。
まわりの人を愛するということ
潜在意識は一人称を理解できません。
自分=まわりの人
なのです。
まわりの人には、
あなたの好きな人も、家族も、大嫌いな人も、自分をいじめてくる人も、自分を嫌ってくる人も、羨ましくなっちゃうような人も、含まれます。
あなたの現実に現れた人は、全て自分と考えます。
これは、人によっては「受け入れがたい」と感じることもあるので、
最初のうちは「そうかもしれない」「そうだと仮定してみよう」と思ってみるだけでもOKです。
自分=まわりの人
なので、本当に自分を愛せているなら、まわりの人も愛せます。
「この人だけは、どうしてもキライ、受け入れられない」ということがある場合は、
「自分の中のなにかを、自分が受け入れられていないのかも」
「まだ気付いていない、無意識の自分がいるのかも」
と考えます。
まわりの人は、自分の内側を見せてくれる存在
まわりの人は、気付いていない自分に気付かせてくれる存在
なのです。
大嫌いな人を愛する方法
たとえば、どうしても受け入れられない、大嫌いな上司がいるとします。
この「大嫌いな上司を愛する方法」について、私なりに書いてみます。
「愛する」といっても、「上司の〇〇さん、大好き〜♡ラブラブチュッチュ〜♡」というイメージとはちょっと違います(笑)
この上司も「自分自身である・自分の内側を反映したものである」と、気付き、受け入れていく、ということが、愛する、ということに繋がります。
では、実際に、大嫌いな上司を愛してみましょう。
この上司を「自分の内側の反映である」と仮定して、
上司に感じるものを書き出してみます。
- 言い方がキツイ
- しつこく説教してくる
- 私にばかり嫌味を言ってくる
など、思っていることを、ストレートにそのまま書き出してみます。
上司に感じたもの
「言い方がキツイ」「しつこく説教してくる」「私にばかり嫌味を言ってくる」
を俯瞰して眺めてみると、
「攻撃性」や「厳しすぎる」ということを、上司に対して感じていることがわかります。
この「攻撃性」や「厳しすぎる」という部分を自分が持っているから、上司に対して、「攻撃性」や「厳しさ」を感じるのです。
自分のなかに存在しないものを、外側に感じることはできないのです。
「攻撃性」や「厳しさ」というのは、自分の中に無意識として存在していたので現実化していたのです。気付かせるために、潜在意識が現実化してくれたのです。
「攻撃的な自分」「厳しすぎる自分」に気づけていない場合や、認めたくない場合、
「自分に対して攻撃的な人」「自分に対して攻撃的な人」というインパクトのある人が現れるのです。
ここで、自分の中にある攻撃性や厳しさを振り返ってみます。
自分が自分に対して、攻撃的で厳しすぎたかもしれません。
外では優しいけど、家族・両親に対して攻撃的だったり、厳しくなりすぎている部分があるかもしれません。
「あ〜、確かに、自分にはそんな部分があったな」と気付くことができればOKです。
そんなふうに、気付いて、受け入れる。
相手と自分を等しくする。
これが、愛する、ということです。
ここで、反省、自責などは不要です。
自らを悔改めよ、なんて、私は言いません(笑)
まわりの人=自分(の内側の現れ)ということを前提に心を開いていれば、自然とすべてが整ってきます。
ここで「いい・悪い」などとジャッジする必要は皆無なのです。
「攻撃的な自分や上司」は悪で、「防御的な自分」はかわいそう、とか
「厳しすぎる自分や上司」は悪で、「穏やかな人」は善、とか、
そんなことは、一切ないのです。
どちらの自分も、純粋に自分自身。
どんな自分も、愛すべき自分自身なのです。
「攻撃的で厳しすぎる自分」が存在するからこそ、「穏やかで優しい自分」も存在するのです。
そうやって、まわりの人を通して、自分自身の内側に気付いていくうちに、
自分自身への愛はどんどん深まり、現実世界からも愛が溢れるようになり、すべてのことがうまくいくようになってきます。
嫌な人がいたら「これも、自分の内側なんだ」「そんな部分が自分の内側にあるんだな」とただ、淡々と気付いていく。
嫌な人をゼロにしましょう、ということではありません。
嫌いだと思ってもいいし、イラッとしてもいいのです(笑)
どんな人が現れても、ただ、「私の内側を反映してくれている存在なんだ」と、その相手を通して自分を知っていくのです。
まわりの人と自分が等しくなればなるほど、自分を受け入れられているということであり、自分もまわりの人も愛している、ということです。
好きな人も自分自身
では、「大好きなあの人♡」が自分自身、ということについて見ていってみましょう。
たとえば、今、Aくんのことが大好きで大好きで仕方なくて、片思いしているけど、全然相手にされていないとします。
ここで、Aくんに感じるものを、すべて書き出してみます。
長所、短所、素敵だな〜と感じる部分、「なんで〇〇なの?」と悲しくなる部分、
すべて書き出してみます。
●いいな〜と思う部分
- かっこいい
- 洗練されている
- ユーモアセンスがあって話がおもしろい
- 自信を持って、堂々としている
・・・etc
●悩みのタネになる部分
- かっこいいし、モテるし、きっと浮気性だろう
- でも、私にはそっけない
- 私のことを無視する
・・・etc
このAくんにたいして感じたことを、すべて自分の内側の現れだ、として見ていきます。
Aくんを通して自分自身を知り、Aくんと自分を等しくしていくのです。
あなたがAくんにくんに対して感じるものは、あなたの内側にあるからこそ感じられるものです。Aくんは、あなたの内側を反映してくれているにすぎないのです。
たとえば、
●いいな〜と思う部分
- かっこいい
- 洗練されている
- ユーモアセンスがあって話がおもしろい
- 自信を持って、堂々としている
「こんな部分、自分にはないよ〜!」と思う部分もあるかもしれないし、
「確かに私自身のことかも」と思う部分もあるかもしれません。
どちらも、自分自身なのです。
あなたが「美しさ」を持っているから、かっこよさを感じられるのです。
あなた自身が「洗練された感覚」を持っているから、Aくんが洗練されているとわかるのです。
あなたに「ユーモアセンス」があるから、Aくんの話の面白さがわかるのです。
あなたにも「自信を持って、堂々としている自分」が存在するから、Aくんにもそれを感じられるのです。
今、どんなに「自分にはそんな部分ないよ〜!」と思えたとしても、あるのです。
気付いていないだけです。「ないよ〜!」と思い込んでいるだけで、あるのです!(笑)
「そんな部分が自分にもあるんだな」と受け入れると、あなたのその部分は、さらに伸び伸びと生かせるようになってきます。
●悩みのタネになる部分
- かっこいいし、モテるし、きっと浮気性だろう
- でも、私にはそっけない
- 私のことを無視する
と思っている場合。
浮気性、と感じるのは、自分に「浮気性」な部分が存在するからです。
浮気なんかしたことないよ!という方も、「浮気性」という言葉に持っている自分のイメージを見つめてみてください。
●浮気性
=外側にたくさんの愛を求めてばかり。
=自分を愛してくれる人を大切にしない。
など、「浮気性」という言葉に自分が与えているイメージを書き出してみてください。
※この感覚は、人によって違う場合があります。辞書に書いてある意味通りの場合もあれば、そうでない場合もあるので、自分の感覚をそのまますくい取ってあげてください。
そうすると、「私は浮気はしたことないけど、外側に愛を求めてばかりだったし、自分のことも愛していなかったし、いつもそばにいてくれる家族や友達のことを大切にできていなかったかもしれない」
ということに気付けるかもしれません。
- 私にはそっけない
- 私のことを無視する
という部分も、自分が自分に対して行っていることであり、
確かに、自分の内側に存在することなのです。
- 自分のことを後回しにしたり
- 自分の本音を抑圧したり
- 自分の「嫌な部分(だと思っていること)」を見てみぬふりをしたり
そんな部分があったかもしれません。
好きな人も、自分の内側が反映された存在なのです。
好きな人に感じることは、すべて自分の内側にあることなのです。
自分=まわりの人を実践すると愛されるしかなくなる
まわりの人や、好きな人を通して、今まで気付かなかった自分に気付いていくということは、
自分のすべてを、まるごと愛している
という状態なのです。
- 自分と対話して、自分自身に気付く
- まわりの人を通して、自分自身に気付く
こんなふうにして、今まで気付かなかった自分を知っていくということは、
自分が自分を見つめて、
自分が自分を受け入れて、
自分が自分を愛している、
という状態なのです。
- 相手を通して自分自身を知っていく
- 自分とまわりの人を等しくする
これだけで、自分もまわりも愛で溢れるようになります。世界が微笑み、現実からも愛され、奇跡が起きるようになります。これは、とてつもない愛なのです。
そして、自分(自覚できている自分)と自分(今まで気付かなかった自分)が本当の意味で出会い、両思いになる、ということでもあります。
そうすると、もう、あなたは、
最愛の人と出会って、両思いになるしか、なくなるのです。
最愛の人がすでに知り合いだという場合も、本当の意味で出会い直して、
やっとお互いが向き合えるようになるのです。