なぜ、ジャッジを超えた視点が大事なのか、について

ジャッジを超えた視点を、2018年にこのブログを作ってから、セッションをはじめてから、

ずっと、お伝えしてきています。

ジャッジとは?

  • いいわるい
  • 好き、嫌い
  • 正しい、間違い
  • 〜すべき、〜でなければならない
  • ふつうは〜、一般的には〜
  • 思い込み、決めつけ
  • 「これはこういうものだ」
  • 絶対〇〇!!

などなどの表現で出てくるかな、と思います。

もうちょっと、言い方を変えると(感覚的になってしまいますが)

「囚われている」

という感じでしょうか。

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まず。

ジャッジは、みんな、すると思うんですよ、

だって、にんげんだもの(笑)

好き嫌い、はみんなそれぞれあると思うし、

いい悪い、と感じることもあると思います。そしてそれがいいとか悪いとか、少数派多数派として区別されて評価されることでもないのでしょう。

お仕事でそれをされてる方もいらっしゃいます。(そういえば、法関係のクライアントさんも定期的にいらっしゃいます、法を扱う方、分析がお仕事の方も)

だから、ジャッジするのが、いい悪いとかじゃなくて、

※「ジャッジする自分をジャッジする」という迷路にはまらないように

ジャッジは、しますよ。それが、悪いとか、未熟とか、そういう話じゃなくて、

その囚われから自由になった視点は、存在する、という話です。

しかも、やり方は、気づくだけ、です。

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これは、最近、セッション5回目を終了したクライアントさんのお話です。

1〜5回目の中で、そのクライアントさんは、(時系列で書くと)

  • しばらく、何も変化なし
  • その後、復縁したかった彼(Aくん)に振られた挙げ句、彼は他の女性とラブラブになった
  • そのころ、望んでないのに転勤(でも昇格)、そして引っ越しになった(でも年収がもともと高い方だったけどそれが倍になった)
  • モテキが到来(でもピンとこないので断りつづける)
  • 昔のカレ(Bくん)に復縁を迫らた(でも断った)
  • 理想以上の男性(Xくん=見た目も好み、仕事もできて、頼もしく、センスもいい。。。)から口説かれて、恋に落ちて、今交際中

という経過をたどりました。

(注)これは、別に「復縁が不可能です」とか「執着してたらだめです」とかいう話ではなく、たまたま最近そういう話があったので書いているだけです。ほかのケースもいろいろあります。

そして、こちらのクライアントさんは、

(1)しばらく、何も変化なし

(2)その後、復縁したかった彼(Aくん)に振られた挙げ句、彼は他の女性とラブラブになった

の時点で、あまり深刻になっていなかったというか、

「今こんな感じなんです〜、えへへ」

くらいだったのが印象的でした。

囚われてないんだな、という感じを受けたのが、今でも覚えています。

そして、追い打ちをかけるようにして、

(3)そのころ、昇格して転勤・引っ越しになった

となるわけですが、このクライアントさん的には、転勤も引っ越しも”望んでいないもの”でした。(でも年収もあがってびっくり、となってました)

でも、

「今のままがいいけど」といいながら、「そうなっちゃいましたから、てへ」

くらいな感じで、軽く受け流していたのが、印象的でした。

その後、モテキが来て、きっと誰もが羨むような男性から猛アタックを受けて交際中です。

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すごい、です。

なにがすごいかって、

「現実に左右されない」

つまり

「囚われない」

ところがです。

「囚われない」回路がもともと発達していて、ringoセッションではその確認作業だけだったような気もします。

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もしこれが、”昔の私”だったら、

  1. しばらく、何も変化なし
  2. その後、復縁したかった彼(Aくん)に振られた挙げ句、彼は他の女性とラブラブになった
  3. そのころ、望まない昇格して転勤・引っ越しになった

↑たぶん、これで、やられてたというか、落ち込みまくってたと思うのですが、

ここで、

囚われない

と、思ってみると、

無限の可能性を受け入れることができます。軽く受け流せるようになってきます。

  • これは、こういうことだ
  • こうなったら、こうなるはず
  • A=B
  • C→D(しかありえない)
  • 自分は惨めだ、もう終わりだ

という「枠」「囚われ」から自由になると、

起きた現実に対して、「流す」ということができる。

「流す」ということができると、自然と、流れにのる、ということになって、「楽ちんに心地よい方にすすんでいく」となるのかもしれません。

いくらエゴが「これはもう最悪だ」と叫んでいるとしても、

それ以外の視点も持っている、

というのは、とても自由なことで、これをこのブログでは「現実創造の視点」と読んでいます。

自由だからこそ、創造できる。ゼロ、だからこそ、創造する、という感じです。

囚われている状態って、洗脳されている状態・ジャッジに盲目である状態で、

そこに気づくのは、ある意味では、「今までの自分を否定する」ようなこともあるかもしれないし、勇気がいるかもしれませんが、

「囚」

この四角(口、くにがまえ)が外れる、ということなので、それはもう伸びのびです。

視野が広がって、真に自分がしたいことを体験したり創造していくようになるのではないかな、と思ったりします。

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(何度も言いますが)

だからといって、ジャッジが悪いわけではありません。

これはいい、これは悪い、という決めつけから、解放されていくことが、自由な現実創造につながるということであって、ジャッジしてはならないというジャッジを作っているわけではありません。

大事なのは、ただ気づくことと、他の文化もただ知ること、だと思います。

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よく言われることかもしれませんが、

人間の本性は、

自分が窮地に立たされたときと、

自分が”正しい”側にあるときに現れます。

なので、誰かに対して”批判、否定、ジャッジしやすいかも?”というときは、まず真っ先に、”自分いじめ”と”自分が自分をジャッジしていること”に気づくと、いいかもしれません。

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恋愛成就、と、日常生活におけるジャッジメント

つながってないようで、じつはすごくつながっています。

根っこにある思考パターンがいろんな場面で現れているだけなので、

日常からヒントを見つけていくということは、以外とコツなのかもしれません。

日常のささいなことを、ジャッジせず、流していくと、

「ここぞ」というところでも、流せるようになって、自然といい流れに勝手に運ばれていくイメージです。

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