願いが叶わず苦しいとき、問題が起きているとき。
努力をしたり、人にアドバイスを求めたり、本を読んだりと、私たちはいろんな対処法をとることができますが、私がとても大切だと思うことは、
相手に「こうしてほしい」と思うことを、自分が自分自身に与えることです。
このことに”明確に”気づくと、現実が動いてきます。
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以前も記事に書きましたが、音信不通の彼から連絡がほしいときは、自分が自分に連絡をすればいい、ということですが、それでピンとこない場合は、「私は本当はなにを求めているのか?」ということを、耳を澄ませて、必要であれば深掘りをして、書き出していってみます。
自分が自分のカウンセラーになったつもりで、ゆっくりと、優しく、静かに、耳を澄ませます。(これが深掘り)
重要なのは「ジャッジを超えたところの本当の自分の声を聞く」ということです。
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書き出しワークのやり方
- ノートに解決したいこと、叶えたいことを書きます
- 相手に望むこと(与えられたいこと)、その出来事を通して得たいもの、与えられたいことを、書いていきます
- (2)で出てきた答えが、自分が自分自身に与えます
以上です。
必要だと感じるとき、願いが叶わないと思うとき、求める自分に気付けたとき、何度でも、やってみます。
ここで、とても大切なポイントは「ジャッジを超えて、純粋な自分の声に耳を傾けること」です。
ジャッジは、自動的に繰り返し起こるリピート再生のようなもので、厳密にいうと自分が考えたことではないからです。ジャッジだけに限らず、思考自体がそういうものですが、とくにジャッジは自分の声を聞く妨げとなります。
自分の本当の声を聞くために、雑音をオフにする必要があります。
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たとえをいくつか挙げていきますが、ここに書くことは、「ただのたとえ」であり、
あなたがあなたの声を聞いて受け取ることに勝るものは、世界中を探してもどこにもありません。
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たとえば、音信不通の彼から連絡がほしいとき。
私は一体、彼に、なにを求めているのでしょう?
「ただ、連絡がほしい、連絡があればなんでもいい」わけじゃないかもしれません。
彼から連絡はきたのはいいけど「他の女性と結婚しました」とか「前から思ってたけど、鬱陶しいからもう連絡してこないで」などという内容は嫌だという場合は、「彼からの連絡」以外のものを、彼に望んでいるということです。
「彼から連絡がくる」という出来事を通して、私自身が本当に望んでいることは、なんでしょうか?
答えは、自分の内側にしか、ありません。
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たとえば、あるとき母親と喧嘩して、どうしても心がモヤモヤする、という場合。
「私は、母に、何を望んでいるの?ほんとうは、どうしてほしいと思っているの?」と自分にたずねます。
すると、
私をコントロールしないでほしい、私のことを信じてほしい、私に謝ってほしい、私の話を聞いて受け入れてほしい・・・
という答えが返ってくるかもしれません。
そして「ほんとうに、それをしてほしい」と思う場合は、
- 私をコントロールしないでほしい
- 私のことを信じてほしい
- 私に謝ってほしい
- 私の話を聞いて受け入れてほしい
↑これこそが、私の声であり、私が私に求めていることであり、それを自分が自分に与えること(気づくこと)が今できる唯一のことであり、ベストな方法です。
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たとえば、夢を実現させるために、起業に向けてワクワクと準備をはじめているとして、そのことを友人に話したら「本当にうまくやっていける?今厳しいらしいよ」と心配されたとします。
ここで、なんだかモヤッとした場合は、
「私は友人になにを求めていたの?」と自分に尋ねてみます。
そして、もし、たとえば
- 不安にさせるようなことを言わないでほしい
- 知っておいた方がいい情報を与えてくれるなら、シンプルにわかりやすく伝えてほしい
- 応援してほしい
- 信じてほしい
と言ったことを「本当にそれを求めている」と思えるなら、
これが、私から私への要求だった、ということです。
これに気づいて、これを自分が自分に与えることが大切です。
「自分が自分にたいして、そうしてこなかった」ということにありありと気づくだけでも、自然と自分が自分に与えるようになってくることがあります。
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無職の家族がいるとき。
その家族を見て問題と感じるとき、あなたはその家族になにを求めていますか?
ジャッジを超えて、無邪気で純粋な自分の声に耳を澄ませてみます。
すると「いい大人なんだから、働くべきだ」というジャッジの奥に、
「私を助けてほしい(私ももっと楽にいきたい)」「生き生きと才能を発揮している姿をみたい」という声が出てくるかもしれません。これは、例えであって、正解ではないので、ぜひ自分の声に耳を澄ませてみてください。
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これは「人」じゃなくてなにか「出来事」を望んでいるときにも、使えます。
好きな人はいないけど結婚したい、という望みがあるとき、
「結婚」「まだ出会っていない相手」に何を求めていますか?
自分のノートは、自分しか見ていないので、純粋に素直に安心して書き出せます。
コツは「ジャッジを超えること」です。
私の場合は「うふふくんと結婚したい」と思ったとき、
- 親を安心させたい
- 自分も安心したい
などが出てきた記憶があります。この場合は、深掘りすると、いいかもしれません。
すると、
- 親から認めてほしい
- 親から信じてほしい
だったり、
- 責められたくない
- 自由にのびのびしていたい
という声が出てきたりします。
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この書き出しワークをやっていくと、
私から私への、切なる声、願いがハッキリと、見えてくるでしょう。
たとえば、願いや問題が複数ある場合は、
「一見違う事柄だけど、私は同じものを相手(外側)に求めている」
こともあるかもしれません。
一見なんの関係もなさそうなことでも実は紐づいているものです。
私の場合は、よく、「認めてほしい」とか「信じてほしい」とか、出てきていたような気がします。しかも「無条件で」、認めてほしい、信じてほしい、と思っていました。
これが、私が私にしてほしかったことなのです。
それに気づいた私は、それを、ただ、するのみ、です。というか、自然とそうせずにはいられなくなります。
もっというと「認めていないことに、”ハッキリと明確に”気づいた」時点で、認めたことに、なります。
そうすると、不思議なことに、すべてが整うのです。なぜか、整うのです。
不可能が可能になるような展開もあったし、思いつきもしなかった展開で当初の期待を超えていったこともあったし、奇跡のようなことも起きます。
このことは、理屈で説明しても、うまくできないものです。完全に、「私の頭の思考や理解、経験に基づく知恵」などは、超えてしまっているのです。
ここで、私が知ったのは、私たち一人ひとりが、神秘的な力と繋がる存在であるということです。
もちろん、私は、「あなたもこれをすべき」なんて思いません。でも、ただ苦しんで、悩んで、外に答えを求め続ける人生は、いつだって終止符を打つことができるものです。
今日、ここに書いたことは「鏡」の話でもあります。
書を捨てよ、そして、実践あるのみ、です。
ringoセッションは「実践しているけど、より深めたい、より深く自分とつながりたい、感覚を磨きたい」という方におすすめです。