この世を鏡でみてみると、どうなるか?

このブログでは、「この世を鏡でみてみましょ〜」ということを、あらゆる角度から、繰り返し、書いております。

「この世を鏡でみる視点」が純粋に受け入れられたとき、

なんらかのミラクル=え!?まじで!?(喜&驚)

的なことが起きるようです。

この世を鏡で見てみると(1)

この世を鏡で見てみると、まず、自分を「知る」ということができます。

「自分を知る」って、簡単そうで、意外と難しいものです。

盲点って、必ず、あります。

「自分を知る」って、簡単そうで、意外とできていないものなんです。

外側・まわりの人・現象を通して、自分自身を知ることができます。

自分自身を知る、ジャッジなくただ知る、というのは、

言い換えると「受け入れる」「認める」ということでもあり、「気づき」でもあり「癒やし」でもあり、もっというと「愛」で、ゴザイマス。なので、私は、これを究極の自愛である、としています。

だから、それだけで、良いのです。

修正したり、反省改善しようとしなくても、勝手に整うでしょう。

例えば「どうしても人に話しかけることができない」という人は、鏡で知ったあとに、

「みんなから優しく話しかけられるようになって楽しい!」となるかもしれませんし、

突然「自分から話かけてみよっかな〜!」という軽やかな楽しい気持ちになるかもしれませんし、どう転ぶか、それは、私はわかりませんし、正解もありません。

「どうなるか?」というのは、ひとまず「ゆだねておいて」、ただ、期待せず、自分を知ることを楽しんでいただけるといいみたいです。

鏡でみてみる=究極の自愛

この世を鏡で見てみると(2)

あとは、なんといっても、

エゴ・思考パターンからの解放、が置きます。

私たちは日々、「自分で考えている!」と思っているかもしれませんが、

ほとんどの方は、その、「自分で考えている!」ことの多くが、「自分じゃない誰かの考え」「自分じゃない誰かの感覚」だったりします。

ここで、私が「〇〇をこわい、というその考え、実は本当はあなたの考えじゃないんです!」と言ったところで、あなたは信じないでしょう。

「自分で考えている!」ことの多くが、「自分じゃない誰かの考え」「自分じゃない誰かの感覚」

↑はい、これで、私たちは、本来の自分自身の姿でいられなくなります、苦しくなります、現実がうまくいかなくなります、愛する人と結婚できないとか両思いにならないとか出会わないとかになります、なぜかお金まで苦しくなります、なぜかパワハラとか受けたりします。

でも、意外と、私たちは、

「自分で考えている!」ことの多くが、「自分じゃない誰かの考え」「自分じゃない誰かの感覚」

↑これを「自分の考えではない」と認めたがらない傾向にあります。(認めてるけど叶いませんというときは、認めてないということがよくあります)

はい、これを、巷では、

ブロックと呼ぶかもしれません。

洗脳って言ってもいいこともあります。

私はもう「思考の牢獄に閉じ込められてる」って感じがします。

この中で、一生懸命生きてきたのです。

というか、生き抜いてきたのです。

それだけの力があるということだし、想像もできない可能性を持ってる、ということが、言えます。これは普通に考えてそうだと思います。

「この世を鏡でみてみましょ〜」というのは、「思考の牢獄」から自由になる作業です。

幸せになることを阻む”なにか”

幸せになることを阻むなにか、にぶつかる方も多いでしょう。

お一人で実践していただくときは、鏡+思考の書き出しも丁寧にしていただくと、スムーズだと思います。思考の書き出しって、結構重要です!!

幸せになることを阻むなにか、って意外としぶといので、一人では疲れてきた・よくわかんなくなってきた・ショートカットしたい!!等、という方は、ぜひセッションをご活用くださいませ。

セッションの場合は、また、「私とringo」という空間ですので、お一人では、起きなかったことが起きます。「私とringo」という空間でこそ作れるなにかを毎回お一人おひとりに合わせて作ってます(※ヒント:鏡)

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