ノージャッジの感覚を知ると無限の可能性が手に入る

「ジャッジメント」

「裁き」「判断」

これを、当ブログ・セッションでは、すごくすごく大事に、お伝えしております。

これだけは、セッションはじめてから、ずっと、「すごく大事なことです」とお伝えしてきたことです。

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ジャッジメントというのは、たとえば、

  • いい、悪い
  • 正しい、間違い
  • 好き、嫌い
  • これがいい、これは絶対イヤだ
  • 上、下
  • こだわり
  • 決めつけ
  • 思い込み
  • 絶対〇〇に決まっている
  • 当然〇〇である
  • 普通は〇〇
  • 常識的には〇〇
  • 〇〇なのは当たり前
  • 〜であるべき、〜でないべき
  • 〜してはいけない、しなければならない
  • あんなことするなんでひどい、信じられない、そんなのおかしい、変だ
  • 評価、判断、人の目を気にする・・・

等々・・・いろんな言葉・思考で、私達のなかに見え隠れしているでしょう。

ジャッジが過ぎると(しかも盲目だと)、モラハラとか、パワハラとか、

「〇〇ハラスメント」に発展します、あるいは支配・洗脳とか。

なので、まわりにそういう人(モラハラ夫、パワハラ上司、支配的な誰か、ブラック会社勤務等)がいて苦しんでいる場合は、自分が自分をジャッジしまくってる、ということがあります。

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で、ここでまた確認していただきたいのが、

「ジャッジメントしてはいけない」

ということではないのです。

そりゃ人間なので、いろいろ思考するでしょうよ。いろいろエゴがあるでしょうよ。

それすら、いいも悪いもない、浮かんできたものは、ただ浮かんできたものとして、そのままただ認めるだけでよい、のです。

「ジャッジをなくさなければならない」というよりも、

「ジャッジを超えた視点も知る」ということに、ワクワク感とか、感じたら、いい感じだと思うのですよ。

まずは「自分への裁き」に気づくことからはじめましょう。

罪悪感持ってる人!!やりがいあると、思いますよ〜笑

そもそも罪なんてないです、罪は人が作ったもので、人が人に与えたもので、それは人によって移ろうし、あるようでないようなものです。ないと思えばないのです。

常識もそうですよね。文化・時代・国などが変われば、常識なんて、すぐ変わります。時代についていけずに、古き常識を守っている先輩方は「ガンコジジイ」とか呼ばれちゃったりするものです。

話を戻します。。

まずは「自分への裁き」に気づくことからはじめましょう。

自分が自分に脳内で言っている「裁き」は、実は、自分の発想ではなくて、誰かが言っていたことだったりします。それを拾った、それに引き寄せられた、それに縁があった、というだけのことです。

そうやって、一個一個、気づくだけでよいです、変えよう、改善しよう、修正しようとか、しないでよいのです。

そうして、少しずつ、ジャッジを超えていく。

ジャッジを超えていくと、

「これはどうやって受け入れたらいいんだ?」ということについても、”みえてくるようになる”かもしれません。

たとえば、虐待、いじめ、犯罪とか、戦争とか、天災とか、自然破壊、動物愛護系とか。今だったらコロナ(ワクチン)とかが旬でしょうか。

ジャッジをなくしましょう、ということではなくて、

ノージャッジに立ってみる、ノージャッジを知ってみる、ノージャッジの視点も持ってみる、・・・ということです。

ノージャッジを知って、はじめて、自由になります。

ノージャッジを知って、はじめて、無限の可能性が降り注いできます。

今まで見えなかった愛・豊かさ・美しさに気づいて、受け取れるようになるのです。

もちろん、夫婦円満、家内安全にも、バッチリです。

ノージャッジを知ると、「コントロール(したい、されたい、されている)」からも解放されると思います。

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もう一回いいます、

人間なので、ジャッジしても、それでふつうってもんです。

ジャッジしてたら、悪いとかなってしまったら、本末転倒です。

何事も、ただ、そのまま、認めていくのみ、です。これこそ、私は、「愛」とか「自愛」と呼びたいです。

これは、(本人の意志さえあれば)誰にでもできます。だって、ただ、認めるだけですもの。

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